Chris Minh Doky Interview

Chris Minh Doky



旅立つ直前のマイケル・ブレッカーの魂の演奏が聞ける、文字通り、ラストレコーディングとなった、ベース・プレイヤー、クリス・ミン・ドーキー、通算7枚目のアルバム、『ザ・ノマド・ダイアリーズ』。
坂本龍一のバンドで世界に先駆け日本でブレイクしたクリス・ミン・ドーキーは、ベトナム人医師の父と、北欧美人の母の間に生まれ、デンマーク・コペンハーゲンに育ち、20歳でジャズを志して米国ニューヨークに移り住んだ真のグローバル・シティズン(地球市民)。パリを拠点に活躍するピアニスト、ニルス・ラン・ドーキーは、実の兄。
日本との縁も深いクリス・ミン・ドーキーが、世界を駆け回るトップ・ベース・プレイヤーの日々の生活を、惜しみなく語ってくれた。

工藤 由美


ー 『ザ・ノマド・ダイアリーズ』は、旅から旅へと放浪し続けるミュージシャン生活をテーマにしたアルバムだと聞いていますが、最近、来日頻度も多く、「ノマド(放浪)」の度合いがますます高まっているようですね。

クリス・ミン・ドーキー(以下CMD):  日本は大好きなので、いろんな機会に来ることができて、とてもうれしく思っている。2007年だけでも、アンナケイ(クリス・ミン・ドーキーと同じデンマーク出身で、ニューヨークをベースに活躍するシンガーソングライター。2006年にセルフタイトルアルバムで日本デビュー)、マイク・スターンのブルーノート・ショー、東京ジャズ、フィリップ・セスのコットンクラブ・ショーと4度も日本の土を踏んでいる。ニューヨークでも日本との縁は続いていて、タカ(DIMENSIONのギタリスト、増崎孝司:アンナケイつながりで親しくなる)がやって来て、DIMENSIONの最新作『NEWISH』もレコーディングした。

The Nomad Diaries
ー そのときエレクトリック・ベースを弾いてくれと頼まれたそうですね。

CMD: イエス。僕はアコースティック・プレイヤーだと思われているけど、実はエレクトリックも大好きで、事実、マイク・スターンのバンドでは、レパートリーの半分をエレクトリックで演奏している。デイヴィッド・サンボーンの仕事のときもそんな感じだったし、坂本龍一のバンドではほとんどエレクトリックだった。

ー 『ザ・ノマド・ダイアリーズ』では、かなりギターっぽいプレイをしていますが、これはアルバム・ジャケットに載っているサイレントベース(YAMAHA)でプレイをしているのですか?

CMD: <ラスト・コール>と<ホェア・アー・ユー?>のことだね。サイレントベースにディストーションをかけてプレイしているから、そう聞こえるのだと思うよ。

ー エフェクツを使っているのですか?

CMD: そうだよ。エフェクツは、自分のバンドでプレイするときは以前からよく使っていた。

ー どんなエフェクツを使っているのですか?

CMD: ―ディストーション、エンヴェロープ・フィルター、ディレイ、オクティブ・ディヴァイダー・・・。僕のサイレントベースにはミディドライバーが付いているので、ミディ音源を引っ張ってくることができる。だから、ベースの他にも、これでサンプルやシンセサイザーもプレイできる。こういった「道具」を活用することで、エレクトロニック・ユニバースを作ってみたいと思った。しかもジャズみたいに有機的なサウンドの宇宙をね。それが僕の意図だった。でもこのアルバムで使っているのはディストーションぐらいで、ベースそのものは85%がサイレントベースのナチュラル・サウンドだ。

Tsuki by Annekei
Newish by Dimension

ー ライブでもエフェクツを使っているのですか?

CMD: それほど多くは使っていない。エフェクツは両刃の剣だ。十分に注意して使わないと音楽を駄目にする。ベースは音楽の土台になるものだから、その基礎の部分をいじりすぎると、音楽そのものがぐちゃぐちゃになってしまうからね。

ー アコースティック・ベース・プレイヤーで、エフェクツを使っている人は他にもいるのですか?

CMD: 少しはいるよ。多くはないけど。僕がエフェクツを使い出したのはジャコ・パストリアスとマイケル・ブレッカーの影響だ。もちろんマイクはベース・プレイヤーではないけど、彼のEWIの使い方に刺激を受けた。それからベース・ニンジャこと、今沢カゲロウにもすごくインスパイアされた。彼はすごいね。アメージングだ。

ー このアルバムそのものも、アコースティックな世界とエレクトリックの世界の融合がテーマになっているようですね。タイトルを見ても、<ザ・スキャナー>とか、<ブログ>をテーマにした曲が5曲も出てきますし、とても今日的ですね。

CMD: 僕は、コンピュータは新しい楽器だと思っている。このアルバムでは、コンピュータを他の楽器と同じような位置づけで使っている。僕は、結構、昔からパソコンおたくなんだ(笑)。その点に関しては、マイケル(ブレッカー)とすごく気があった。一緒にツアーに出たときは、「よし、あれをチェックしてみようぜ」という感じでいつも盛り上がった。ところでこのアルバムにはマイクが全面的に関わっている。このアルバムについてもいろいろ相談に乗ってくれて、マイクに啓発された部分がたくさんあった。実際、ベースでミディ演奏をするとき僕が使っているシステムは、マイクが自分のEWIに使用しているシステムと同じものなんだ。

ー それでもアコースティック・サウンドが好きなんですよね。

CMD: もちろんだよ。僕はアコースティック・ベースのオーガニックなサウンドが好きなんだ。でもどんな楽器であっても、オーガニックなサウンドが好き。すごくライヴリーで生き生きとしているから。新しい楽器としてのコンピュータも、使い方ひとつで素晴らしくオーガニックなサウンドになる。他の楽器と一緒で、腕のいいミュージシャンが使えば素晴らしい音になるし、下手なミュージシャンが使えば、やっぱり悪い音になる。

ー あなたの「ノマド・ライフ」にはコンピュータが欠かせないということですね。

CMD: ホントだね。僕のカレンダー、電子メールから曲作り、レコーディングまで、全部パソコンを使っているからね。

ー MACおたくですか?

CMD: 完全にね。
Dave Weckl/Chris Minh Doky@Tokyo Jazz 2007

ー MACとエンドースメントがあるのですか?

CMD: 1989年からMACを愛用しているけど、残念ながらエンドースメントはない。僕が最初に使っていたプログラムはMACではなく、EMAGIC使っていた。それが後になってアップル社がEMAGICを買収したんだよ。面白いよね。

ー 『ザ・ノマド・ダイアリーズ』のコンセプトについて教えてください。

CMD: このアルバムは、世界を旅するミュージシャンの生活を音で綴ったものだ。旅先でのハプニングや、それにまつわる思いを音で表現した。たとえばショーを終えてようやくホテルのバーにたどり着き、くつろごうとした途端に「ラスト・オーダー」と言われてがっくりしたこと(<ラスト・コール>)、ニューヨークの自宅から空港に向かうタクシーの中から見たニューヨークの夜景の美しさに感度したこと(<ザ・スキャナー>)、旅先でみんなとハングアウトしたこと(<ホェア・アー・ユー?>といった具合だ。どれも旅先で曲を書き、演奏し、録音したもので、まさに旅の中から生まれたアルバムなんだよ。

ー オープニングの<セプテンバー(フォー・タニア)>は奥様に捧げた曲ですね。

CMD: これは9月にニューヨークの自宅で書いた曲で、可愛い盛りの二人の子供と妻を置いてツアーに出かけなければいけない寂しさを、妻と出会った秋のデンマークの美しい情景に重ねて表現してみた。

ー ここで素晴らしいピアノを披露している坂本龍一さんとの出会いについて教えてください。

CMD: 龍一とであったのは大分昔のことだ。ボトムラインで僕の演奏を聴いて声をかけてきたのが最初だった。それからしばらくしてトリロク・グルのツアーでヨーロッパに出ていたとき、ニューヨークの自宅の留守番電話をチェックすると、龍一のメッセージが入っていた。「僕のバンドで一緒にプレイしないか」って。ウソだろって思ったよ。でもコールバックできたのはツアーを終えて3週間後にニューヨークに戻ってから。しかもどうやら間違った番号にメッセージを残したみたいで、なかなか返事が来ない。あの話は白紙だろうと諦めていたときに、もう一度電話があり、龍一のバンドでプレイすることになった。

ー そのころ、あなたはまだ無名でしたよね。白米に醤油をぶっ掛けて食べていた頃ですか?

CMD: 椎茸をおかずにご飯を食べられるようになった頃かな(笑)。90年代の始めにマイク・スターンのバンドに雇われて、ようやく貧乏生活から抜け出した頃だ。

Chris Minh Doky

ー どれぐらい彼のバンドにいたのですか?

CMD: 4年ぐらいかな。龍一は間違いなく僕のキャリア形成を助けてくれた重要なミュージシャンの一人だ。

ー 坂本龍一のバンドで初めて日本に来たのですか?

CMD: プロのミュージシャンとしては。でも初来日は高校時代だ。1986年に国際交流イベントがあって、デンマークの青少年バンドの一員として横浜を訪れている。マリンバが3台、ドラムセットが2つのパーカッション・アンサンブルで、僕はエレクトリック・ベースとパーカッションをプレイしていた。その頃僕はチボリガーデンのマーチング・バンドに所属していて、その中のメンバーが選ばれて日本に来たんだ。そのとき一緒に日本に行ったメンバーの中に、数年前に<ボンゴ・ソング>を大ヒットさせたパーカッション・ユニット、サフリ・デュオもいた。

ー 「教授」との仕事はいかがでしたか?

CMD: 素晴らしかったよ。彼には、他のミュージシャンにない素晴らしい気質がある。すごく考え方がオープンで、音楽は音楽だと考えている。龍一は「こうあらねばならぬ」というのがなくて、すごくクリエイティブなやり方で音楽を作り演奏している。彼は本当にグレイトだ。このアルバムに快く参加してくれて本当にうれしく思っている。

ー 先ほどマイク・スターンにリクルートされたことがニューヨークでのブレイクスルーのきっかけになったというお話でしたが、いつ頃の話ですか?

CMD: 1990年21歳のときだ。ニューヨークで最初に僕を発掘してくれたのがマイク・スターンだった。マイクを通してデイヴィッド・サンボーンに出会い、マイケル・ブレッカーとも知り合った。マイクも僕の大切な兄貴であり、師匠だ。マイクはクレイジーだけど、最高だ。彼の音楽に対するアプローチや情熱にもすごく刺激を受けた。素晴らしい音楽家だよ。

ー そのマイクの声が<ホェア・アー・ユー?>に使われていますが、どういう状況だったのですか?

CMD: これはツアー先のホテルの留守番電話にマイクが残した音声メッセージを切り取って、音楽にコラージュしたもので、「おーい、ミン、どこにいるんだよ。一緒にジャムに行こうぜ」と言っているんだけど、そのあと「レニー(マイク・スターンの妻でギタリスト)がベトナム産のファイティングフィッシュ(闘魚)を水槽で飼い始めて、ベトナム出身だから魚に『ミン』って名前つけたんだとさ(クリス・ミン・ドーキーは、父親がベトナム人)」というメッセージが入っていたんだよ。あまりに面白いから、そのままいただいちゃったというわけさ。

Mike Stern/Dave Weckl/Chris Minh Doky

ー その魚のミンは一匹じゃないと聞きましたが。

CMD: 最初は一匹だったんだよ。ところがある日レニーからすごく悲しそうな声で電話がかかってきて、「ねえ、ミンが死んじゃった」って言うから、「僕はまだ死んでない!!!」って言うと、「そうじゃなくて魚よ」って(爆笑)。そのあと何匹かまたレニーが飼いはじめたらしいよ。なんでも金魚よりずっときれいらしいね。

ー ところで、<静けさの森の中で>は、ニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン追悼の曲になっていますね。

CMD: これは昔からデンマークに伝わる曲で、一度も演奏しようと思ったことがなかった。それを敢えて取り上げたのは、デンマークが誇る世界的ベース・プレイヤーで友人のニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン(オスカー・ピーターソンやトゥーツ・シールスマン等と共演)を失ったからだ(2005年4月に58歳で逝去)。この曲はニールスの代表曲の一つで、デンマーク人なら誰でも彼のバージョンを知っている。彼を追悼するために、封印を解いて演奏することにした。デンマークに里帰りするたびにニールスに電話をしていた。亡くなる一週間前にも、空港でばったり会って立ち話をした。それが最後になった。他の多くのベース・プレイヤーと同じように僕も彼から多くのことを学んだ。この曲を演奏することで、お別れを言い、感謝の意を表したかった。イントロはニールスと同じようにプレイし、それ以降は、僕の演奏をすることで、敬意を表したつもりだ。

ー この『ザ・ノマド・ダイアリーズ』は、マイケル・ブレッカーの晩年の演奏が聞けるという点でも音楽ファンには特別なアルバムです。マイケル自身の遺作となった『PILGRIMAGE(聖地への旅)』の前に録音されたものなのですか?

CMD: いや、これは『PILGRIMAGE』の録音が終わった後にレコーディングしている。アルバムが完成したのは10月で、その直前に吹き込んでいるから、2006年の秋だ。

ー ということは、これがマイケルの本当に最後のレコーディングなのですね。

CMD: かなりの確率でそうだと思うよ。

ー <イフ・アイ・ラン>は、マイケルがベッドに横になりながらEWIをプレイしたという話でしたね。

CMD: イエス。でも、あれは彼の意志だった。僕は「やめたほうがいい」と何度も言ったのだけど、マイケルは「プレイする」といって聞かなかった。この曲はブランフォード(マルサリス)にお願いするつもりでいたんだけど、すごく弱っていたのにマイケルが「やらせてくれ」って。

ー その頃は調子が良かったのですか?

CMD: この後、少しだけ快方に向かったけど、それから病状が著しく悪化した。

ー このレコーディングは歴史的価値があるわけですね。
Pilgrimage by Michael Brecker
(Chrisは不参加)

CMD: そうかもしれない。でも彼のミュージシャンとしてのステートメントは、『PILGRIMAGE』できちんと表明している。いずれにしても僕の音楽で僕の作品だし・・・。客観的な評価はわからないけど、僕にはとても大切なプレゼントになった。マイケル・ブレッカーは、ベストフレンドであり、兄であり、師だった。僕がベースプレイヤーになる前から、マイケルは憧れの人だった。彼の音楽にも演奏にも深い共感を覚えていた。デンマークで子供時代を過ごしたころから、この人は音楽に対して僕と同じ考えを持っていると思っていた。そしてマイケルが僕の音楽を聞いたらどう思うだろうと想像を膨らませていた。まさかそのマイケルと自分がプレイすることになるとは。それが実現したとき、夢のようだと思った。そしてマイケルは自分が思っていた通りの人だと思った。

ー もう少し説明していただけませんか?

CMD: マイケルも僕も、核となる部分はジャズ・ミュージシャンだ。しかし実際に書いたり演奏する音楽は、必ずしもジャズではない。僕等は音楽に対してとてもオープンでフレキシブルだけど、心の真ん中にはジャズがある。マイケルの音楽には、そういったオープンネスと知的探究心があった。だからとても刺激に満ちていて、インスパイアリングだったのだと思う。マイケルに会ったのはニューヨークで僕のアルバムのレコーディングを頼んだときが最初だったけど、初対面のときから信じられないほどよくしてくれた。

ー 個人的にもとても親しい間柄だったのですよね。

CMD: 闘病中はもちろんのこと、その前から家にいるときは毎日電話しあっていた。人間的な面でもいろいろ教えてもらった。家族生活についてもアドバイスしてくれて、本当にマイケルは、音楽のみならず、人間としても真の師匠だった。彼は本当にいつも僕にすごくよくしてくれた。文字通り、いつも、いつも。マイケルがいなかったら、ミュージシャンとしても人間としても、今の僕はなかった。

ー マイケルはいつもあなたを笑わせていたのでしょうね。

CMD: イエス。本当に楽しかった。携帯メールが流行りだすと、ツアー先で車二台に分乗して、夢中になってメールを交換したものだよ。飛行機に乗っても、たとえばニューヨークから東京までずっとおしゃべりしっぱなしだった。僕等の前に座っている人は、「おい、そこの二人、いい加減に話をやめろ!」って言いたくなるぐらいだったと思うよ。彼がいないことをすごく淋しく思う。一方で僕は今も日々マイケルの存在を肌で感じている。プレイしているときは特に。先日も、セカンドショーの終わりごろ、時差もあってくたくたになり集中が切れてきたとき、マイケルを感じた。「ガンバレ」って。それで集中を取り戻した。音楽をやっているときの集中というのは、面白いことに、一つひとつの音やコードを意識するというのとは違う。全体を把握して流れに乗る感じ。そうして一つの状態に入っていく。そういうレベルに到達すると、マイケルが傍にいてくれるなって感じるんだよ。



Chris Minh Doky公式サイト




Interview by Yumi Kodo
Photo by Aswan

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