深町純氏死去




(2010.2.27)

2010年11月22日、キーボード奏者であり、作曲家であり、アレンジャーであった深町純氏が亡くなった。享年64歳、心臓疾患だったそうである。

筆者が深町さんの名前と音を初めて耳にしたのは1978年のことである。この年深町さんはブレッカー・ブラザーズ、デビィッド・サンボーン、スティーブ・ガッドなどをバックに従えてニューヨーク・オールスターズと銘打って東京と大阪でコンサートを行ったのであった。今では皆超ビッグネームのミュージシャン達だが、まだ当時は駆け出しの若手の頃である。
このライブがFMラジオで中継されていたのを耳にした筆者はあまりの凄まじい演奏にショックを受け、それからフュージョンにのめり込んでいったのであった。そういう意味では深町さんがいなければこれほどまでに音楽を聴くこともなかっただろうし、このサイトも存在しなかっただろう。

深町さんとフュージョンという接点から見ると昨年再発された「六喩」は興味深い内容だった。1975年に録音され大村憲司、ポンタらをフィーチャーした深町純&21st センチュリーバンド名義のこのアルバムは今聴き返してみるとまさに日本のフュージョンの創世記の演奏で、しかも今の感覚で聴いてもカッコいい曲が驚くほど高いテンションで演奏されている。35年前の日本のミュージシャン達はここまでのレベルに達していたんだとの感慨さえも覚える作品である。

また80年代初頭の和田アキラとのプロジェクト、KEEPの2枚のアルバムのノリの良さ、勢いも忘れ難い。

21世紀にはいってからの深町さんは原点に返ったかのようなアコースティック・ピアノの即興演奏を中心に地味ながらもコンスタントに活動を続けてきた。

1970年代の深町さんの活動は明らかに日本の音楽シーンに革新をもたらし、その後のコマーシャリズムとは一線を画した音楽そのものを大事にしてきた姿勢は何ものにも代え難いものであり、One And Onlyのミュージシャンであった。

ご冥福をお祈りします。



ソロピアノリサイタル
2004.05.09 銀座 王子ホール
Crossover Japan
2004.05.30 国立代々木競技場第一体育館


インタビュー (2004年)

深町純が語るThe New York All Stars(2002年寄稿)





All rights reserved by Cyber Fusion